2024/03/16

理容美容室向けオーダーシステムのご提案

コミュ力の無さが顕著に現れる場所。床屋、または美容室。

カットした後に、「こんな感じでどうですか?」と鏡で後ろを見せてくれるが、「あれっ?」と思っても、常に笑顔でOK完璧満額回答である。

コミュ力不足もあるが、自分の髪型に大してこだわりがないので、最初にどうオーダーしてよいのかわからない。

そもそも注文のフォーマットが用意されてないのだ。「前は2センチ、後ろは3センチカットして。」なんて言えればよいが、それがどういう結果を招くか素人なのでわからない。

おかしくならない程度にこざっぱりカットしてくれ。が本心なのだが、いつも「耳にかからない感じで、前と後ろはそれに合わせてください。」なんて曖昧に言っている。

それで「上はどうしますか?」聞かれても、どう答えていいかわからない。「いや、どうする?って聞かれても…。」と、こんな感じで、曖昧vs曖昧の戦いが毎回繰り広げられる。

40年以上も生きているのに、床屋に行くときはいつも博打に行くような気持ちになる。

そういうわけで、すべての理容美容室の鏡には、顧客の髪型をAIで分析し、瞬時に数パターンの髪型の提案が行われ、客は「パターンAで」と発するだけでオーダーが行われるシステムを導入して欲しい。


2024/01/05

2024年スタート


石川県能登の震災という悲しいNewsから始まった2024年。なんと自然災害の多い国だろうか。

某女史の「起きていることはすべて正しい」という言葉を借りて冷静に考えてみると、狭い国土、少ない平野、険しい山地、断層や火山の多さ、台風のルートとなっている事などを考えると、確かに「正しい」のかもしれない。

こういう非常事態時はついSNSを見てしまう。そうすると、誰かが誰かを非難したり、正そうとしたり、怒りをぶつけたりというネガティブなやりとりが目に付く。2011年の東日本大震災の時もこうだった。

昨日は「水の入ったペットボトルをヘリコプターから落としてほしい」という誰かの書き込みが、それいけ!と言わんばかりに叩かれてた。

たぶん、みんな怖くて不安なんだと思う。そういったモヤモヤした感情を変化させて誰かにぶつけることで安心しようとしているんじゃないだろうか。わからんけど。ともかくこういう時のSNSは殺伐としている。

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さて、2024年になりました。

今年はアウトプット多めで行こうと思う。以前読んだ本によると「インプットとアウトプットの黄金比は3:7」だそう。つまりインプットの約2倍強をアウトプットする必要がある。去年は95:5ぐらいじゃなかろうか。

自分の場合、XやFacebookはビジネスアカウントしちゃってるので、今年はこのブログにどんどんアウトプットしていこうと思うのでよろしくおねがいします。

時系列がバラバラだけど、2023年からフリーランスつまり個人事業主になった。職業は「ソフトウェアエンジニア」。自分の職種はいろんな呼び方があるけど、これが一番あてはまる気がする。

フリーなって始めてわかったこと。それは、組織に属していたときとはまるで違う自由さがある。これは、想像できなかった変化。やっている内容は対して変わっていないんだけど、肩にズーンとのしかかっていた色々な ”しがらみ” がゼロになり、より身軽になった感じ。実際にフットワークも軽い。

まだ半年ぐらいだけど、この働き方は自分に合ってる気がする。思考がシンプルで大変良い。2024年もこの形で行きたい。

そうそう、この記事のアイキャッチはChatGPT(DALL-E3)に描いてもらった。記事の内容をぶち込んだらこんな画像に。そのまんまだけど。



2023/07/04

40歳でアウトドアに目覚めた話

40歳からアウトドアに目覚めた。

それまでは、休日といえば家で映画をみたり、ゲームをしたり、プログラムを書いたりと、アウトドアとは無縁の、それはもう完全なるインドア生活を送っていた。

40歳になるかならないかのある日、Youtubeで同い年ぐらいのおじさまがソロキャンプをする動画を見た。

テントを建て、料理を作り、酒を飲み、焚き火をし、ず~っと一人でカメラに向かって喋ってる。

40前後の私:「ア・・ア・・・アウトドア・・・ええやん!」

それからというもの、元々強かった物欲のベクトルは、ガジェット系からアウトドア系に完全に向きを変え、テントはもちろん、寝袋、焚き火台、クッカー、などなど買い揃えたのだった。

ほどなくして、ファミリーでキャンプにいった。

これが最高に楽しかった。バーベキューや焚き火、暗闇に光る獣の目など、まだ幼稚園だった子供達も良い思い出になったと思う。

最初はバンガローに泊まった


その後、何度かファミキャンへ行き、いよいよ人生初のソロキャンプへと向かう。

あのYoutubeのおじさまと同じことをやるのだ。

父親がソロキャンプに行くことを子に告げると、子どもたちも「あぁ、あのキャンプってやつね」と理解が早かった。先にファミキャンに行っていたのは正解だったかもしれない。

季節は2月。いきなりの冬キャンである。

この頃はまだソロ用のテントを持っていなかったので、ファミリー用のでかいテントを担ぎ、熟慮に熟慮を重ねて選定した熊本方面のとあるキャンプ場へと向かった。

キャンプ場に着いて、車から荷物をおろす。まだ慣れない手つきでテントを設営し、ようやく炭に火がついた時には、疲労と空腹と若干の腰痛でフラフラになってしまった。

しかし、脳は興奮状態で目はギラついていたように思う。

そんな男がその後に口にした食べ物が、この「砂肝の焼き鳥」である。

一番右が砂肝

これが、人生で一番美味かった食べ物である。

なれないテント設営の疲れ、空腹、寒さ、すべてこの砂肝(塩)が吹き飛ばしてくれた。

そして、この40歳のおっさんは、生まれて初めてたった一人で大自然に包まれる感覚を経験したのだった。

すごいよかった

自然の静けさの中の鳥の声や川の音、草や土の匂いなんかに包まれると、脳からジュワ~っと何かが出てくる気がする。それが明らかに体が喜んでいる感じがして心地よいのだ。

「森に行くと病気が治る」と言っていたのは、キャンプ芸人のヒロシだが、あながち本当かもしれない。


さて、それからというもの、完全にアウトドアの魅力に取り憑かれた私は、キャンプだけに留まらず、登山やハイキングに出かけるのであった。

つづく。



2023/06/24

なすびからの再開

美しい東峰村の棚田
(※記事内容とは関係ありません)


前回のなすびの記事を書いてから6年も経ってしまった。

ブログは自分の思考や感情を整理する良いツールだと思う。だからずっと続けてきた。

だけど、あのなすびの記事を書いたあたりから、ブログを書こうという気持ちが全くなくなってしまった。今思うと、自分の感情を上手く表に出せなくなっていたようだ。

仕事・育児などなど、いろんな原因があるんだろうけど、そういうストレス的なヤツ(当時はダメージとは思っていない)がいくつも重なって6年ぐらい蓄積されると、自分でも全く予測できないタイミングで突然に溢れてしまう事を知った。

幸い自分の場合は、いろんな人達の協力のおかげで、以前の自分に近いところまで復活した気がする。でも1年以上もかかってしまった。

そしてこれまたいろんな人達のおかげで、有り難いことにフリーランスとして仕事を再開することができた。(この働き方は自分に合っている気がする。)

自分の場合、ブログ書きはひとつのバロメーターかもしれない。そういう意味でも今後も続けていけるように書いていこうと思う。

ということでまたよろしくお願いします。

・・・

このブログ、今見ると最古の記事が2001年。空白期間いれたらもう22年もやってる。

開設当時はBloggerではなくて、自分でPerlで作った掲示板みたいなヤツに日記を書いてた。

で、そのデータをBloggerにインポートしたのが2005年あたりじゃなかろうか。もう恥ずかしくて読めないが、過去の記事もそのままにしている。

このブログ、死ぬまで続けれたらいいなぁ。


2017/03/05

なすびの時代

最近、20年ほど前のテレビ番組を見た。

なすびという芸人が、素っ裸で部屋の中で懸賞ハガキを書きまくり、その当選品だけで生きていく。というテレビ番組だ。

21とか22歳ぐらいのときか。よく観ていた気がする。

ランダムで多様な当選品が、生死ギリギリの生活にとても役に立ったり、役に立たなかったりして、それを全裸の男が一喜一憂する姿がとても面白かったのだ。

今考えるとすごい企画だ。

あの頃のあの番組は芸人を人間以下のように扱うところがあって、若い自分を含むその他大勢の視聴者は、この企画だけに限らず、それを人体実験を観ているような感覚で観ていたように思う。当時の視聴率は良い時で30%ぐらいあったらしい。すごい。

さて、再びそのなすびの懸賞生活を観た40歳の私の感想は、、、まず「なすびを心配した」

この人、こんなことされて大丈夫?と。

当時はそんなことは微塵も思わなかった。それは、自分が大人になったのか、時代が変わったのかは解らないが、とにかく心配した。

大勢の観客の前でゴールを告げられた時の彼の表情やしぐさ、一番食べたい物を差し出されたときの歓喜の声など、よく観察すると、人間として普通じゃなかった。

私は、一刻も早く保護し、肉体的はもちろん、精神的なケアを受けるべきだと思った。それを、大勢の観客の前、いや、全国で数千万人が観ているテレビでエンタテイメントとして放送されていた事に驚いた。

こんなの今やったら、即刻ネットで炎上である。

Wikiなど調べると、あの企画の後、なすびは精神的におかしくなって自殺を考えていた事もあったそうだ。しかも番組プロデューサーと普通に話せるようになったのも最近のようだ。

この番組が流行ったのは20年前。たった20年で人間の価値観というものはこうも変わるものかとつくづく思う。(当時自分のように感じていた人もいるかもしれないが)

まぁ、70年前までは、国のために命を捧げる人も居た時代だ。

そう考えると、これから20年先はもっと変わっているかもしれない。

どう変わっているのだろうか。

今、楽しい思ってることが未来は悪だったりするのかもしれない。

2017/02/20

選択肢と自制心

自制する力がないうちは、子供にお菓子やジュースやゲームやテレビなどは与えない。というしつけ。

多くの親がそうしていると思う。

与えない。どころか、その存在すら知らせないというところまで徹底している家庭もあるかもしれない。

これ、自分はちょっと考えが違う。というのも、

・では、いつ与えるつもりか考えているのか。
・あとで駄々をこねるのが面倒なので、ただ親が楽な手段を取っているだけではないのか。
・与えない事に変わる、体験や教えを与えているか。
・子供の様々な体験、経験の機会損失になっているのではないか。
・そういう親は自制できているのか。

など、しっくりきてない。

「子供に様々な体験、選択肢を与えた上で、自制心を身につけさせる」というやり方は無理なのだろうか。

自分の子を見ていると、3歳ぐらいでも我慢はできると思う。もちろん100%ではないけど。

例えばゲーム機を与えない。なんていうのは、自分の子供に自制心をつけさせる事ができない、そういう気がない、駄々をこねるのが面倒くさい、という事なんじゃないだろうか。

自分はゲーム機だけじゃなくても「世の中にはこういうのがあるんだよ。面白いよね。」と、いろんなものを見せたい。その上で「面白いけど、やりすぎはダメだけどね。」と教える。

もちろん暴力とか性的な奴はNGだけど。

実際にARアプリやGoogle Earthとか子供に見せると「あっすごい!」って言って感動する。動物のドキュメンタリーとか見せた日にゃ「なんで?」「どういうこと?」とか、こっちが面倒になるぐらい質問攻めに合う。これってスマホとかTVだけど、子供にとってすごい経験だと思う。

自分をコントロールする力が身についていれば、それは大きなスキルだ。酒やギャンブルや不倫やストーカー、、いきすぎか。。。まぁ、そういう自制心の無さによるトラブルとは無縁の人生を送れるはずだ。

小さい頃から経験しているいろんな選択肢から自分のやりたい事を見つけ、それを実現できる。そういう子供になって欲しい。

子供には、より多くの世界や選択肢を見せる事が親の大きな役割の一つだと思う。

それを、「ただ最初から与えない」という手法のしつけで、子供の可能性が失われるのは悲しい。

2017/02/16

四十になりました

久しぶりのブログ投稿。

ここ数ヶ月、自分の気持ちを表に出す。という気になれず、このブログもFacebookもTwitterもすっかり放置状態だった。

最近、ようやく、少し、書いてみようかな。という気持ちになれたので書いてみる。

という気持ちを書いてみた。

ぼちぼち更新してゆく。