2017/03/05

なすびの時代

最近、20年ほど前のテレビ番組を見た。

なすびという芸人が、素っ裸で部屋の中で懸賞ハガキを書きまくり、その当選品だけで生きていく。というテレビ番組だ。

21とか22歳ぐらいのときか。よく観ていた気がする。

ランダムで多様な当選品が、生死ギリギリの生活にとても役に立ったり、役に立たなかったりして、それを全裸の男が一喜一憂する姿がとても面白かったのだ。

今考えるとすごい企画だ。

あの頃のあの番組は芸人を人間以下のように扱うところがあって、若い自分を含むその他大勢の視聴者は、この企画だけに限らず、それを人体実験を観ているような感覚で観ていたように思う。当時の視聴率は良い時で30%ぐらいあったらしい。すごい。

さて、再びそのなすびの懸賞生活を観た40歳の私の感想は、、、まず「なすびを心配した」

この人、こんなことされて大丈夫?と。

当時はそんなことは微塵も思わなかった。それは、自分が大人になったのか、時代が変わったのかは解らないが、とにかく心配した。

大勢の観客の前でゴールを告げられた時の彼の表情やしぐさ、一番食べたい物を差し出されたときの歓喜の声など、よく観察すると、人間として普通じゃなかった。

私は、一刻も早く保護し、肉体的はもちろん、精神的なケアを受けるべきだと思った。それを、大勢の観客の前、いや、全国で数千万人が観ているテレビでエンタテイメントとして放送されていた事に驚いた。

こんなの今やったら、即刻ネットで炎上である。

Wikiなど調べると、あの企画の後、なすびは精神的におかしくなって自殺を考えていた事もあったそうだ。しかも番組プロデューサーと普通に話せるようになったのも最近のようだ。

この番組が流行ったのは20年前。たった20年で人間の価値観というものはこうも変わるものかとつくづく思う。(当時自分のように感じていた人もいるかもしれないが)

まぁ、70年前までは、国のために命を捧げる人も居た時代だ。

そう考えると、これから20年先はもっと変わっているかもしれない。

どう変わっているのだろうか。

今、楽しい思ってることが未来は悪だったりするのかもしれない。

2017/02/20

選択肢と自制心

自制する力がないうちは、子供にお菓子やジュースやゲームやテレビなどは与えない。というしつけ。

多くの親がそうしていると思う。

与えない。どころか、その存在すら知らせないというところまで徹底している家庭もあるかもしれない。

これ、自分はちょっと考えが違う。というのも、

・では、いつ与えるつもりか考えているのか。
・あとで駄々をこねるのが面倒なので、ただ親が楽な手段を取っているだけではないのか。
・与えない事に変わる、体験や教えを与えているか。
・子供の様々な体験、経験の機会損失になっているのではないか。
・そういう親は自制できているのか。

など、しっくりきてない。

「子供に様々な体験、選択肢を与えた上で、自制心を身につけさせる」というやり方は無理なのだろうか。

自分の子を見ていると、3歳ぐらいでも我慢はできると思う。もちろん100%ではないけど。

例えばゲーム機を与えない。なんていうのは、自分の子供に自制心をつけさせる事ができない、そういう気がない、駄々をこねるのが面倒くさい、という事なんじゃないだろうか。

自分はゲーム機だけじゃなくても「世の中にはこういうのがあるんだよ。面白いよね。」と、いろんなものを見せたい。その上で「面白いけど、やりすぎはダメだけどね。」と教える。

もちろん暴力とか性的な奴はNGだけど。

実際にARアプリやGoogle Earthとか子供に見せると「あっすごい!」って言って感動する。動物のドキュメンタリーとか見せた日にゃ「なんで?」「どういうこと?」とか、こっちが面倒になるぐらい質問攻めに合う。これってスマホとかTVだけど、子供にとってすごい経験だと思う。

自分をコントロールする力が身についていれば、それは大きなスキルだ。酒やギャンブルや不倫やストーカー、、いきすぎか。。。まぁ、そういう自制心の無さによるトラブルとは無縁の人生を送れるはずだ。

小さい頃から経験しているいろんな選択肢から自分のやりたい事を見つけ、それを実現できる。そういう子供になって欲しい。

子供には、より多くの世界や選択肢を見せる事が親の大きな役割の一つだと思う。

それを、「ただ最初から与えない」という手法のしつけで、子供の可能性が失われるのは悲しい。

2017/02/16

四十になりました

久しぶりのブログ投稿。

ここ数ヶ月、自分の気持ちを表に出す。という気になれず、このブログもFacebookもTwitterもすっかり放置状態だった。

最近、ようやく、少し、書いてみようかな。という気持ちになれたので書いてみる。

という気持ちを書いてみた。

ぼちぼち更新してゆく。


2016/04/18

熊本地震とひかるくん



2016年4月14日木曜日 21時25分ごろ、寝る前の子どもたちに絵本を読んであげていると、手元のiPhoneが「ブィー!ブィー!地震です。ブィー!ブィー!地震です」と、無感情かつ、けたたましく鳴り響いた。その数秒後、ユラユラと横揺れが数秒ほど続いた。

すぐに寝室から出てテレビをつける。 アナウンサーが緊迫した声で熊本地方を震源とした巨大地震が起きたことを、激しく揺れる熊本市街を写す定点カメラの映像とともに何度も繰り返し伝えていた。

3歳の次女は私の足にしがみつき、5歳の長女は不安そうな顔でテレビを観ている。ふたりとも、ただならぬことが起きている事を感じたようだ。

テレビに映る「震度7」という文字を見て、5年前の東日本大震災の事を思い出す。当時は東京だったのでかなり揺れた。今回は飯塚なので揺れはそれほどまでもなかったが、久しぶりに聞く緊急地震速報のチャイムとアナウンサーの緊迫した声が、当時感じた到底太刀打ちできない自然界へ無力さと恐ろしさを思い起こさせた。

その後、何度も起きる余震とスマホの緊急地震速報のブザーは、2人の子供達にしっかりと恐怖心を植えつけたようで、地震の揺れ自体よりも、スマホが発するあのなんともいえない「怖い音」にすっかり怯えるようになってしまった。

長女に至っては、いつもはスマホを貸すと喜んでゲームを始めようとするが、いつその「怖い音」が鳴るかわからない物体に、「いらない、お父さん持っちょって。」と拒否するようになり、次女も寝る前には「今日は地震来ん?」と聞くようになってしまった。

そんなわけで、私も妻もiPhoneの緊急地震速報の通知設定をOFFにすることにした。

そんな地震の恐怖におののく週末、近所のホームセンターに買い物に行くと、カブトムシの幼虫を無料で配っていた。無論、飼育グッズ販促のためのホームセンターの罠だとは解っていたが、聞くと「育ててみたい」という長女の意見と、この夏のよい教材と思い、幼虫一匹と飼育用容器、幼虫のエサとなる土(マットというらしい)を買い揃えた。

そんな幼虫にどういうわけか「ひかるくん」という名前をつけた長女。

幼虫から蛹を経て成虫となり、秋になると死んでしまうひかるくんや、今回地震の恐ろしさなど、これからいろんなことを経験するだろう。悲しいことや恐ろしい事だとしてもそれはきっと糧になると思う。

が、スマホのあの音だけは他の音に変えられないものだろうか。


2016/03/21

きっと明日はいい天気

長女が「つくしとりに行きたい」と言うので、天気も良いし、行ってみるかと近所の河川敷を3人で散歩。

風が強かったけど、陽射しは暖かく、黄色い菜の花に小鳥がピチピチ鳴いて、あぁ、春がきたなと実感。

突然、手を繋いで歩いていた3歳の次女が、「庭のシャベルが〜♪一日濡れて♪」と歌い出した。

次女はよく歌うが、その歌は聴いたことあるようなないような、なんとも言えない味わいのあるメロディと歌詞で、そして次女の楽しそうに歌う歌声に、日ごろの仕事のストレスがサーっと溶けていった。

最近仕事が忙しく、しかもクヨクヨと悩み疲れていたもんだから「おい、今のもっかい歌ってくれ」と頼むと、前よりも大きな声で嬉しそうに歌ってくれた。

結果的に、実は散歩が必要だったのは自分で、子供らが外に連れ出してくれて、歌で癒されてもらった形になってしまった(笑)

つくしは全然とれなかったけど。



2016/01/16

かわいいねー

生きていると「嫌いな人」ってどうしても出てくるわけで。その対処方法として「なるべく会わない」ってのが最善なんだけど、上司や取引先の人など、なかなかそうも行かない場合も多々ある。

そういう場合、徹底的に嫌いになって、「嫌い」だと周囲にぶちまけるのも一つの手。ただそれは聞いてくれる人がいる場合。聞く方もあまり良い気はしない。

以前、とても高圧的な取引先(発注元)の人がいて、精神的に相当やられた事がある。交通事故などで死ねばいいとさえ思った。ひどいもんだ。今考えるとそれほどの事ではなかった気もする。

今、もしそういう人が現れた場合、俺はこうすることにしている。

対象人物をよく観察し「かわいい」と思うのだ。

「あー。自分の立場を守るために必死になってるねぇ。かわいいねー。」という具合だ。



こういう具合だ。

2016/01/01

2016年元旦

またあっという間に年が明けた。

引っ越して初めての正月。天気が良い。午前の新鮮な太陽を浴びながら、徒歩で近所の神社に初詣に行く。初詣は徒歩に限る。

おみくじは末吉。「何事も進んでやろうとせず、自分の仕事をコツコツとやりなさい。」というような事が書かれてあり、お腰様の事もあるし、今年はおとなしくしていよう、と少しセンチメンタルな気分で帰宅。その後、「ワハハ!非日常や!」と、おせちを肴に昼間から酒を飲み、iPadでAmazonを見ながらソファーで昼寝。

夜、5歳の長女に「一人で風呂に入ってみるか?」と聞いてみると「入ってみる」との事。10分後、なんという事もなく風呂を済ませ、パジャマに着替えた娘の姿を見て改めて成長を感じる。一人の空間で自分の事を自分でする。何気にこのステップは大きい。

子供を寝かしつけた後、このブログを書き、23時就寝。

そんな正月。