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なすびの時代

最近、20年ほど前のテレビ番組を見た。 なすびという芸人が、素っ裸で部屋の中で懸賞ハガキを書きまくり、その当選品だけで生きていく。というテレビ番組だ。 21とか22歳ぐらいのときか。よく観ていた気がする。 ランダムで多様な当選品が、生死ギリギリの生活にとても役に立ったり、役に立たなかったりして、それを全裸の男が一喜一憂する姿がとても面白かったのだ。 今考えるとすごい企画だ。 あの頃のあの番組は芸人を人間以下のように扱うところがあって、若い自分を含むその他大勢の視聴者は、この企画だけに限らず、それを人体実験を観ているような感覚で観ていたように思う。当時の視聴率は良い時で30%ぐらいあったらしい。すごい。 さて、再びそのなすびの懸賞生活を観た40歳の私の感想は、、、まず「なすびを心配した」 この人、こんなことされて大丈夫?と。 当時はそんなことは微塵も思わなかった。それは、自分が大人になったのか、時代が変わったのかは解らないが、とにかく心配した。 大勢の観客の前でゴールを告げられた時の彼の表情やしぐさ、一番食べたい物を差し出されたときの歓喜の声など、よく観察すると、人間として普通じゃなかった。 私は、一刻も早く保護し、肉体的はもちろん、精神的なケアを受けるべきだと思った。それを、大勢の観客の前、いや、全国で数千万人が観ているテレビでエンタテイメントとして放送されていた事に驚いた。 こんなの今やったら、即刻ネットで炎上である。 Wikiなど調べると、あの企画の後、なすびは精神的におかしくなって自殺を考えていた事もあったそうだ。しかも番組プロデューサーと普通に話せるようになったのも最近のようだ。 この番組が流行ったのは20年前。たった20年で人間の価値観というものはこうも変わるものかとつくづく思う。(当時自分のように感じていた人もいるかもしれないが) まぁ、70年前までは、国のために命を捧げる人も居た時代だ。 そう考えると、これから20年先はもっと変わっているかもしれない。 どう変わっているのだろうか。 今、楽しい思ってることが未来は悪だったりするのかもしれない。

選択肢と自制心

自制する力がないうちは、子供にお菓子やジュースやゲームやテレビなどは与えない。というしつけ。 多くの親がそうしていると思う。 与えない。どころか、その存在すら知らせないというところまで徹底している家庭もあるかもしれない。 これ、自分はちょっと考えが違う。というのも、 ・では、いつ与えるつもりか考えているのか。 ・あとで駄々をこねるのが面倒なので、ただ親が楽な手段を取っているだけではないのか。 ・与えない事に変わる、体験や教えを与えているか。 ・子供の様々な体験、経験の機会損失になっているのではないか。 ・そういう親は自制できているのか。 など、しっくりきてない。 「子供に様々な体験、選択肢を与えた上で、自制心を身につけさせる」というやり方は無理なのだろうか。 自分の子を見ていると、3歳ぐらいでも我慢はできると思う。もちろん100%ではないけど。 例えばゲーム機を与えない。なんていうのは、自分の子供に自制心をつけさせる事ができない、そういう気がない、駄々をこねるのが面倒くさい、という事なんじゃないだろうか。 自分はゲーム機だけじゃなくても「世の中にはこういうのがあるんだよ。面白いよね。」と、いろんなものを見せたい。その上で「面白いけど、やりすぎはダメだけどね。」と教える。 もちろん暴力とか性的な奴はNGだけど。 実際にARアプリやGoogle Earthとか子供に見せると「あっすごい!」って言って感動する。動物のドキュメンタリーとか見せた日にゃ「なんで?」「どういうこと?」とか、こっちが面倒になるぐらい質問攻めに合う。これってスマホとかTVだけど、子供にとってすごい経験だと思う。 自分をコントロールする力が身についていれば、それは大きなスキルだ。酒やギャンブルや不倫やストーカー、、いきすぎか。。。まぁ、そういう自制心の無さによるトラブルとは無縁の人生を送れるはずだ。 小さい頃から経験しているいろんな選択肢から自分のやりたい事を見つけ、それを実現できる。そういう子供になって欲しい。 子供には、より多くの世界や選択肢を見せる事が親の大きな役割の一つだと思う。 それを、「ただ最初から与えない」という手法のしつけで、子供の可能性が失われ

四十になりました

久しぶりのブログ投稿。 ここ数ヶ月、自分の気持ちを表に出す。という気になれず、このブログもFacebookもTwitterもすっかり放置状態だった。 最近、ようやく、少し、書いてみようかな。という気持ちになれたので書いてみる。 という気持ちを書いてみた。 ぼちぼち更新してゆく。