東北関東大震災の記録

2011年3月11日金曜日。

人生で忘れられない一日となったので記録しておく。

8時30分、福岡で行われる新入社員の歓迎会に参加するため、一泊分の準備を整え出勤。

12時30分、15時25分発のスカイマーク017便に乗るため、六本木のオフィスを出る。途中でラーメンを食べる。

14時00分、羽田着。福岡のメンバーにお土産を買うため、人気の菓子屋に参列。おばさんが割り込んできたので優しく注意。

14時30分、手荷物検査を済ます。いつものようにベルトで引っかかる。

14時45分、23番搭乗口近くのベンチに腰掛け、Twitterなど眺めていと、揺れが。

横揺れ。揺れはだんだん大きくなり、今までで経験したことのない揺れに心臓がバクつく。先日のニュージーランド地震で倒壊したビルの写真が頭をよぎり、自宅寝室で寝ている5ヶ月の娘の上にあの重いタンスが倒れるイメージが頭をよぎる。

揺れは数十秒続いたように感じる。揺れている間周りを見渡すと、搭乗口の場所を示す天井吊りの案内板が大きく揺れていた。

ベンチの下に隠れる女性もいたが、ほとんどの人は自分と同じように不安そうな顔であたりを見渡しているだけだった。

揺れが収まるとすぐに妻に電話したが全く繋がらない。キャリアのメールは送信はできたが、届いているかどうかは不明。ネットはいけそうなので、TwitterのDMを撃っておいた。無事でいてくれ。

しばらくすると、福岡に住む友人2人からDMが届く。自宅番号を伝え、連絡をとってもらった。幸い妻も娘も無事との事…よかった。2人ともありがとう。

その後、社長と合流。今日は自宅に帰ることを告げるが、結局乗ろうとした便も決行になったため、二人で帰ることに。

といったものの、都内の交通はすべてマヒ。タクシーも捕まらないだろうということで歩いて羽田空港を脱出を決意。

外は日暮れ。風も強く予想以上に寒い。

国際線ターミナルまで来たところで、一台のタクシーを幸運にも発見。さっそく乗り込むも道路は大渋滞。とりあえず、都心方面に向かってもらった。きけば池袋から来たタクシーだという。道がわからない事をひどくアピールしていた。

2kmほど進んだだろうか、渋滞で止まっている我々のタクシーの窓を一人の男性がノックしてきた。近くに足の悪い方がおり、相乗りさせてくれとの事。

快諾すると、年配の女性が「すみませ〜ん」と言いながら乗車。目的地は大崎らしい。iPadのGoogleMapで目的地を確認して発車。

ここまでの間、家族や友人から安否確認のメールがおそらく遅延して届く。返信しても届いたかどうかわからない状態。

タクシーはノロノロと品川方面を目指すが、ただメータが上がっていくだけなので、いったん精算。相乗りの女性にタクシーを譲り、徒歩で先を急いだ。次は関東に大きな地震が来るのではないかと不安ばかり募る、早く帰って家族に会いたい。


GoogleMapで現在地と自宅の徒歩ルートを調べると20kmと出た。4時間程度だ。

いける。


歩道は、品川方面からの帰宅難民で溢れかえっている。我々はその流れに逆らうように進む。

すれ違う人々の表情を見ると、気のせいかも知れないが不安は感じられない。社長もどこか楽しそうだ。自分はそんな気になれない。

練馬への最短ルートをたどる為、六本木へ向かう社長と品川の手前で別れた。
知らない街の住宅地をたどるルートだ。GoogleMapだけが頼りだ。

もともと出張だったので、単三電池式のモバイルバッテリーを持ってきていた。
この時点で4本を使い切っていた。電池を補充しにコンビニへ入ると最後の1パックが残っており、iPhone用のモバイルバッテリーは売り切れていた。出張用装備だったのは不幸中の幸いか。

しばらく歩くと、どこかで見た駅が・・・大井町駅だ。
以前、大魚食造氏と中華を食べた街。

なぜか少しほっとするも、先はまだ長い。そして寒い。心が折れそうになるが、Twitterで同じように帰宅難民の人の「苦ツイート」を読んでいると少し元気が出た。

GoogleMapとTwitterを交互に見ながら暗い路地を進む。何人か同じように歩いている人がいるのが少し心強かった。

30分ほど歩くと、妻から大江戸線が復旧したとのDMが。大江戸線は通勤路線だ。
Twitterで確認するとたしかに復旧したとの事。さらに浅草線も一部復旧したようだ。

早速、GoogleMapで現在地を中心に「浅草線」で検索。
すると、「戸越」という駅にスッとピンが降りた。現在地から数百メートルだ。

これは行ける。浅草線と大江戸線は大門で乗り換えられる。
大通りへ出て急いで戸越駅へ向かう。足が痛い。

駅へ向かっているはずだが、多くの帰宅難民とすれ違う。
ん?浅草線復旧は誤報か?と思いながらも駅到着。皆、駅に入らず前を素通りしている。
とにかく、改札まで降りて駅員に聞いてみると、あと5分か10分で再開との事。
助かった・・・この時点で21時23分。空港を出たのが17時過ぎだから、4時間経過していた。電車はすぐにやってきた。しかも席はガラガラ。そして無事に大門へ到着。

ところが、大門駅にはすでに人が殺到しており、ホームは危険な状態ということで、改札制限がかかっていた。ホームへ向かう通路はすべて人で埋め尽くされており、将棋倒しで多くの人が死んだ海外のニュース映像がよみがえる。

ともかく、電車にはなんとか乗れ、突然「降りたい!降りたい!」とパニックになって叫ぶ女性や、私のかばんを彼女のかばんと勘違いしてしばらく持ってくれたお兄さんなどいた乗車率数百%の人生最悪の満員電車だったが、無事に練馬駅に到着することができた。日付はすでに変わっていた。

そして、帰宅後のニュース映像を見て唖然。
先程の満員電車が人生最悪だと思ったことを恥じた。

週明け寄付しよう。今、自分に出来ることはそれだけだ。

一人でも多くの命が救われることを願う。

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